私の小学生からの夢が。
↑「フリルの付いたズボンを着て、サン・ミュージックから、歌手デビューを、する事」
だったの。
私が、太田プロダクションさんからデビューさせて頂いた、12年前(現在も)よく、テレビ番組や、ラジオ番組等で、言っていました。
実は、それって無謀な夢だったと(笑)反省すらしております(汗笑)
何かさ。
芸能界って、誰でも一瞬だけ、幼い頃に憧れるわよね。
その、憧れの頂点が、私の場合、サン・ミュージックだったの。
なぜなら。
10代のティーンの子達が、上京し親元を離れ、東京暮らし。
アイドル歌手とは言いますが、ただの、可愛い子ちゃんや、カッコいい子では無く、社運をかけた立派な社会人をしている訳ですよ。
そんな、アイドル歌手の皆さん。
若く幼い、小さなココロの中に、想像を越える、大きなプレッシャー、時には劣等感やライバル心を抱える中。
私から見た場合。
社長宅が、寮(下宿生活)なんです。
顔色や、心模様を瞬時に察する事が出来ます。
疲れて(時には、疲れ果てて)帰宅しても、皆で囲む、あたたかいゴハンと、お味噌汁、おかずがあるのね。
ただ、それだけでも。
とても、大切で、素晴らしいココロの支えになると、なっていたと思うの。
つまり、そこは孤独の場所では無いのです。
私が、ゴハンの心配をしながら育ったからかしら(汗笑!?)
寮ならではな、きちんとした規律は、あるけれども、だからこそ、まさに家族同然よね。
サン・ミュージック。
そこに、かなり憧れていたわ。
なかなか上手く行かない歌手の方に対しても、なげやりでは無く、長い目で見る、紳士的で思いやりのある。
きちんと伸びれば、と。
育てようとする珍しいプロダクションだとも、私は思うわ。
一度も、お会いした事、ご挨拶をさせて頂いた事も無いけれど。
長い文になってしまいましたが。
「無償に悲しいわ」
心より、会長のご冥福をお祈り申し上げます。
変わらずに愛し続ける、サン・ミュージックよ。
乱文、お許しを願います。